日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム

概要

日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム(JASP)は、日系三世、四世、五世、「新一世」、「新二世」(戦後の移住者)のほか、他民族の家系も併せ持つ日系人USJCのメンバーから構成されます。彼らは日本、ハワイ、カリフォルニア、米国本土の他の地域に暮らす英語ネイティブ、日本語ネイティブまたは両言語を流暢に話せるバイリンガルです。JASPは、受入れ校の教授の依頼を受けて、日本全国の大学生に英語または日本語でプレゼンテーションを実施しています。

JASPのプレゼンテーションはストーリーテリングの手法を採用しており、プレゼンテーションを通して学生が積極的に議論に参加する多くの機会が設けられています。ストーリーは、プレゼンター自身が歩んだ歴史そのものであり、どれも唯一無二のストーリーです。JASP は、より良い未来の創造に向けて過去と現在をつなぐことによって、日米関係の強化を目指しています。JASPは、感動的なストーリーを通じて、日本の大学生にグローバルな視点を身につけてもらうことが重要であると考えています。

目的と使命

JASP の目的: 日本の大学教授と協力して、大学生の多様性を理解するグローバルな思考を養います。

JASP の使命:日本の大学に通う学生に直接に語りかけ、活発な議論を通じて、日系アメリカ人の一市民や家族の感動的なストーリーを共有します。

ストーリー

学習院女子大学(東京)で講師を務めていた大出隆氏のクラスで、米日カウンシルのメンバーで日系アメリカ人のスタン・コヤナギ氏が家族の歴史と自身のキャリアの軌跡を語ったところ、学生に大変好評で、これをきっかけにJASPの活動が開始されました。

日本の若者の多くは世界に触れる経験や、国際的な考え方を身につける機会が限られており、これが日本の未来に影響を及ぼすおそれもあることから、国際的な視点を育て日米関係を強化するために、JASPは2020年秋に試験的にストーリーテリング・プログラムを立ち上げました。その後2022年度には、日本各地の大学で60回のプレゼンテーションが実施されました。新たな地域でさらに多くの学生にプレゼンテーションに参加してもらうため、プログラムの拡充を目指しています。

日系アメリカ人ストーリーテリングのテーマ

JASP のプレゼンターの多様性を反映して、プレゼンテーションでは次のようなテーマを取り扱っています。

  • 日本でのキャリアの成功のために革新的な精神を発展させましょう
  • 21世紀で日本人であるということ
  • “利用されていない道”を歩く挑戦
  • 私たちの力を利用すること
  • あなたの鼓動は?
  • 21世紀に「日本人」であることの意味を問い直す
  • 受容、共感、ちがいの尊重
  • 日系人と移民
  • 不屈の精神(七転び八起き)
  • 日米間の架け橋を築く
  • 視野を広げコンフォートゾーンから飛び出す体験
  • 起業家精神と夢を追い求めること
  • 自分の文化的アイデンティティを見つける
  • 女性のエンパワーメント
  • ハワイの日系アメリカ人の歴史
  • ヘリテージが土台になり、翼をくれる
  • どこにも属さない私の旅、自分を受け入れること
  • あなたの人生の映画
  • カミングアウト
  • 戦時中の日系アメリカ人の経験
  • 多様性、公平、包摂のビジネスにおける強み

今後もプログラムを拡充し、新たなタイトルをストーリーテリングのテーマに加えていく予定です。

プレゼンター

テーマの多様性と同様に、JASPのプレゼンターには次世代を担う若手リーダーやシニアエグゼクティブ、日系三世、四世、新一世、新二世、他民族の家系を併せ持つ日系人など多様な人々が含まれ、民間企業の人もいれば非営利団体の人もいます。居住地も東京、沖縄、ハワイ、米国本土と多岐にわたります。

プレゼンターの一部を、ここに紹介します。

ネイト・ギョウトク

元年者の遺産:日本からの最初の移民

アロハの魂と日系アメリカ人の徳を具現するのが、ハワイで生まれ育ったネイト・ギョウトクです。彼はハワイに移民した第一波「ガンネンモノ」(明治元年1868年に移民した人々)の曽祖父と写真花嫁だった曽祖母と第二次世界大戦でアメリカに従軍した祖父をもつ4世です。ハワイの日系移民の素敵な歴史と日系アメリカ文化を共有する場所としてハワイをより良い場所へとするネイトの「生きがい」の物語を聞いてください。

プレゼンテーションの内容と要点

  1. ハワイ生まれの4世の「生きがい」
  • 起業家からボランティア活動家まで-利益のない分野での喜び
  • 日系アメリカ人の歴史と文化を伝えるJCCHでの教育と芸術
  • ハワイをより良い場所へとすることに発見した自身の生きがい
  1. ハワイの日系アメリカ人と日本移民の歴史
  • ガンネンモノ: ハワイ王国への最初の日本人移民たち
  • 「写真花嫁」とは何か?1907年の彼の曽祖父母の日本からの移住
  • 一世が感じた差別とハワイにおけるプランテーションの環境
  • 日本のリーダーたちに向けた1924年移民法と真珠湾攻撃後の緊急拘禁 – 反日感情を取り巻く長い歴史
  1. ハワイの今日と明日
  • ビジネスや政治の場におけるたくさんの日系アメリカ人によるリーダーシップ
  • ハワイの自然を脅かす観光業/産業化-ハワイを保護し守らなければ

プロフィール

ネイト・ギョウトクはハワイで生まれ育った4世です。 彼はハワイ日本文化センターの代表兼事務局長で、ハワイ州のオペレーションも任されています。ハワイ日本文化センター

(JCCH)は活気な遺産である多様なコミュニティの強化をハワイでの日系アメリカ人の活性化していく経験を今を生きる世代や未来の世代に向けて教育をすることによって図ることを指名としています。現在は主に若い人々と持続可能性の価値と保護を強固なものにするための数々の団体でリーダーシップを担う役割をこなしています。また、技術分野や食料品産業や産業マネージメントにおいても広い活動経験があります。

ネイトはハワイ島のワイアケア高校を卒業して、ネヴァダ大学ラスベガス校でアメリカ文学の芸術学士を修めました。学生として米日カウンシルのエマージングリーダープログラムへの参加経験もあります。

ケリー・ヌイべ

ロックから:ハワイのコンフォートゾーンを超えて

4世としてハワイで生まれ育ったケリー・ヌイべはいつも世界と日本にいる自身のルーツとなる家族について興味がありました。

ハワイのコンフォートゾーンを超えて、新しい視野を発見したケリーの旅の話を聞いてください。

プレゼンテーションの内容と要点

  1. 話のはじめと背景について
  • 育ったハワイ
  • 「ヌイべ」とヌイべ一家の歴史
  • 「イソベ」家の歴史
  1. ハワイからの旅立ち
  • 人種差別に向き合って
  • 交換留学生としての徳
  • 日本への留学と教育(JET)プログラムを通して
  1. 分岐点
  • 契機の訪れ
  • 日本の家族の再発見
  • 拡大した家族
  1. 新たなゴールと現在のキャリア
    • テンプル大学ジャパンキャンパスでの仕事
    • 新たな視野

プロフィール

ケリー・ヌイべはハワイで生まれ育った4世です。留学と教育(JET)プログラムを通じて、家族のルーツを探し求めて夢にみた来日を果たしました。日本語の勉強の傍ら、ケリーは東京にあるマウリーンアンドマイクマンスフィールド基金でのインターンもこなしていました。また、2019年には米日カウンシルのエマージングリーダーズプログラムのメンバーに選ばれました。オクシデンタルカレッジでアジア研究を専攻し学士課程を修めました。 
ケリーは東京のテンプル大学ジャパンキャンパスで現在は海外アドミッション アシスタント ディレクターとして働き、ヨーロッパ、フィリピン、韓国、そして北米からの留学生募集係を任されています。そして仕事の予定で遠方に出ていない時は、日本のステージでフラを披露する活動も行っています。

ジョージ・ミラー

違いに感謝して

ジョージ・ミラーはフォトジャーナリスト、学術管理者、そして野球選手であると同時に、日本人とアメリカ人である。保守的な家庭を持った白人の父と、伝統的な日本の家庭で育った母との間に生まれたジョージ氏は、「中間にいるということ」、そして家でもコミュニティでも居場所がなかった、彼の経験について語ります。ジャーナリストとしてのジョージが、「バスの乗車」での白人の人種隔離から日本の古い港町、佐世保の日本の田舎における伝統までの世界を、多文化の中にいる一人としてお伝えします。

プレゼンテーションの内容と要点

  1. 初めに
  • フォトジャーナリズムについて
  • 興味と情熱 
  • ジャーナリズムから教育への路線変更
  1. 日本人のハーフ、アメリカ人のハーフとして育って
  • 佐世保と日本の家族の歴史
  • アメリカの家族の歴史 
  • 初等教育とバスの乗車
  • アメリカのレイシズムと人種差別撤廃
  1. メディアにおける多様性
  • ジャンプ:フィラデルフィアの多様性を強調した雑誌
  • 終わらないマスメディアのステレオタイプ
  • あなたの情熱を見つけることと日本で目立つということ

プロフィール

ジョージ・ミラーは2018年から2021年までテンプル大学日本キャンパスの学務副部長でした。2006年より同大学でジャーナリズムの授業を教えていました。現在は、大学と周囲の住民コミュニティと育児の関係性を研究しています。

1994年から2006年まではフィラデルフィアデイリーニュースの犯罪専門の記者やレポーターにフォーカスを当てていたフォトジャーナリストでした。また、2010年から2018年までのフィラデルフィアの音楽関係を扱う、JUMPという雑誌を出版しました。ジョージの言葉とイメージは世界中の出版物で見ることができます。メリーランド州のロヨラ大学を卒業し、コロンビア大学の大学院に進学しました。その後は、ペンシルベニア大学で二つ目の修士号を修め、現在はウィルミントン大学で博士号候補となっています。

ジョージはデラウエア州、ウィルミントンで育ちましたが、生まれたばかりの頃から長崎県佐世保市に家族の半分がいる日本にも訪れていました。

カオル・ウタダ

新二世のレンズから見た越境文化とコミュニケーション

「新二世逆輸入ニューヨーカー」のカオル・ウタダは元々は報道系のディレクターとして働き、現在では米日カウンシルのプログラムとパートナーシップ部のディレクターを担うという独特なキャリアを辿ってきました。それらの全てを通して変わらない気持ちがあります。それは、日本とアメリカの架け橋となるということです。

お話の中で80年代のニューヨークで日系新二世として育った幼少期から、彼女のキャリアの軸となった震災3.11、そして「出る杭」たちや変化を起こすための釘たちのネットワークをいかにして作ったかを伝えます。

プレゼンテーションの内容と要点

  1. カオルのキャリア
  • 米日カウンシルの巨人の肩に立って 
  • TOMODACHI: 3.11後に生きる市民としての発達と企業の精神
  • 「新二世逆輸入ニューヨーカー」とは何を意味するのか?
  1. ニューヨークでの幼少期:「私はクラスでただ一人のアジア系だった」
  • 永遠に外国人として「何者で」、「どこからきたのか」を知って
  • 父からの教え:日々の生活で共感をもち違いを受け入れること
  • 母からの教え:変化を起こすためのコミュニティの大切さ
  • アメリカと日本の文化の違いからの混乱:違う文化へ感謝の気持ちを持つベース
  1. アメリカと日本の架け橋
  • レポーター、ディレクター、そしてプロデュサーとして-新しい産業で橋となる情報
  • 3.11と東北での人々との出会い:日本に引っ越すことを決意 
  • 日本でステレオタイプに直面して:違いを認めるためのステップ
  • くっつけるための釘となり – 出る杭ネットワークとは一体?

プロフィール

カオル・ウタダはニューヨークで育った、山梨と東京に祖先のある日系アメリカ人新二世で「逆輸入」です。米日カウンシルのプログラムとパートナーシップのディレクターを勤めています。2012年に参加してから関わる仕事は、TOMODACHIプログラムにおいて、発展とマネージプログラム、学生ための新しい羽作り、そして学生と若い専門者への成長するための機会提供など多岐にわたります。

米日カウンシルに参加する以前は、カオルはニュース放送の産業で日本とアメリカの両方のテレビネットワークでニュースのディレクターやプロデューサーとして働いていました。(ABC ニュースやフジテレビやNHKなどです。)また、週末日本語学校で教育されたバイリンガルで二つの文化をもつ日系アメリカ人の若い世代に向けた、ホシュコ学生委員会(HAAInc.)を設立しました。彼女は、他の人を助けることに情熱を持ち、災害対応のために2011年東日本大震災以降日本に移住することを決意しました。カオルはスキッドモアカレッジでアジア系研究と心理学分野の学生です。

ラッセル・サイトウ

日本でのキャリアの成功のために革新的な精神を発展させましょう

ハワイ出身の日系アメリカ人、ラッセル・サイトウが、転換点となった留学に始まり、ビジネスにおける重役としての成功まで辿ってきたキャリアの旅と、コンフォートゾーンの外で出会った多くのヴェンチャー(冒険)を通した「ハパ」を共有します。それらの経験と合わせてラッセルが個人の境界線はいかにして超えて行くのか、ネットワーキングがより大きな専門的な成功を生むことを伝えます。具体的には、彼は、学生の皆さまに評価し個人のキャリアゴールを再発見する機会を提供し、そして多くの機会に巡り会うための具体的で革新的な方法やきっかけを提唱します。

プレゼンテーションの内容と要点

  1. 留学で「カルチャーショック」を追って
  • ハワイ州のコナで日系アメリカ人の父とヨーロッパ系の母の元で生まれ育って
  • 日本のカルチャーショック:制服の各式、社会的なルールの厳格性、年功序列
  • ハワイとアメリカの「ミニ・アンバサダー」として、日本の大学への交換留学
  • アメリカ本土の大学でのカルチャーショックと属する場所を探して
  1. 日本へキャリアの旅へ-冒険を探し求めて
  • 「日本のサラリーマン」さん
  • 「ボランティア活動」の価値
  • 2011年の東日本大震災復興支援のためのNPOでの仕事-より低い収入、しかし
  • 金融的な成功とグローバル企業へとキャリアの道を変えて
  1. あなたの夢は?
  • あなたのゴールについて評価して再確認すること
  • 具体的なキャリアへのアドバイスと行動を起こすための道具の提案

プロフィール

コナというハワイ州の「大きな島」の出身のラッセルは、多文化ビジネスの重役として15年以上の専門的な経験を日本で積んできました。現在は、アジアでのチャイアネットワーク会社の重役を担っています。金融技術と革新企業でのエキスパートとして、ラッセルは日系企業(ビジネスニュースのアウトレット)でアドバイザーも務めています。過去には、日本でのメザナイン金融基金トラスト資本の副代表を経験しています。また、リーダーシップをグローバル技術系企業で発揮し、政府やNPOなどの越境分野にも携わっていました。

現在は、日本カリフォルニア大学バークレイ校の副代表を務め、ロータリークラブや米日カウンシルで長きに渡るメンバーでもあります。

クミコ・ヒダカ

21世紀で日本人であるということ

日本のアイデンティティとは具体的に何を指しますか? 第三の文化を持つ子供はどの様になるでしょう?新一世のクミコ・ヒダカが第三の文化をもつ子供の彼女のアイデンティティを見つける旅を通して、しつこい質問への答えを提案します。

個人のアイデンティティは国籍による固定観念よりも、アメリカと日本のビジネスにおいて架け橋となることに繋がったような二重の文化をもつクミコのように多岐に渡ることができるということをクミコは説明しながら、障壁となるものを取り払うことでしょう。

プレゼンテーションの内容と要点

  1. 日本の国籍は特異的で一次的なものではない
  • 日本で生まれ、フィリピンとアメリカで育って
    1. 日本で、他者との違いに気がつきそれを受け入れるための努力をした
    2. カリフォルニアにきたとき、日本人としてのアイデンティティは残ったがアイデンティティは国籍に縛られず二つの文化を受け入れることができるということに気がついた
  • フランスへの留学:日本人というアイデンティティを問い続けて
    1. 人々が人種と一つの文化やアイデンティティと結びつけていることに気が付く
  1. 「第三文化の子供」として:日本で働いているときに蒸発するアイデンティティの危機
    • (日本人として)どのように感じていたかvs(非日本人として)どの様に認識したか
    • アメリカ人らしさ(またはその欠如)についてのコメントを多く受け取って
    • 日本人としてのアイデンティテいを拒否されて日本人として証明するために努力した¥
  2. 日本と外国にコミュニケーションに通じて橋をかける
  • クミコのキャリアは文化、人、技術が相互作用したものだった
  • 任天堂のアメリカ支社で働いていた時、日本人の同僚にアメリカの市場についてを教えて
  •  Facebookの日本支社で働いていた時、アメリカの会社が日本で成長できるように
  • 二重意識を受け入れ、グローバルなビジネスへ貢献することに
  1. 日本のアイデンティティ:進化し続ける概念
    • 日本はもっと多様になる:外国人と日本人の人口の増加
    • 単一文化的なアイデンティティからは遠ざかる
    • 私たちは、無意識の偏見に立ち向かうために、偏見について考える必要がある

プロフィール

ミコ・ヒダカはカリフォルニア大学サンディエゴ校でコミュニケーションと日本分野と副専攻でフランス文学を学び学士過程を修めました。クミコは 世界でも代表されるピクサー、ナイキ、そして任天堂で国際的なブランド、マーケティング、コミュニケーションでの専門分野を築き上げながら働き始めました。現在は、株式会社Netflixでコミュニケーション、生産と技術分野の代表を努めています。それ以前は、日本で企業のコミュニケーションと政府の取り組みを鑑みた、公共事業で副代表を務めていました。他にも、アマゾンジャパンの、コミュニケーション、デジタルエンターテインメントのリーダーとして、PRチームにアマゾンプライムビデオやアマゾンミュージックなどのデジタルエンターテインメントビジネスの道へと導いた経験もあります。しかし、それらの経験の起源は、6年以上務めたMetaの社や東京支部での、アジアの市場へ進出するためのコミュニケーション戦略を導き出し、日本のコミュニケーションリーダーとしてFacebook、Instagram、Messenger、そしてOclusを含めるを家族のアプリケーションの責任者を務めた経験にあります。

マオ・トリヴァー

文化的なアイデンティティを探して

「新一世」であるマオ・トリヴァーが、アメリカ・ミシガン州の田舎で戦後の大阪生まれの日系少数派移民として、そして日本でアメリカ化された帰国子女としての複雑なアイデンティティを自覚する上で触発されたストーリーをお話します。誰であり、誰となるべきかを繋ぎとめるために、彼女は文化的な困難を抱えた状況の中で自分と向き合い、アイデンティティを決定づけることを選びました。マオは今、どのように二重のアイデンティティを持ち、日本とアメリカの文化のつなぎ役として、そして架け橋としているのかを皆様にも知っていただきましょう。

プレゼンテーションの内容と要点

  1.  アメリカで日本人移民として
    • 4歳の時、ミシガンの白人が優位を占める田舎の小さな町への家族での引っ越し
    • 優位つの日系/アジア系の学生として地元の学校に通うことの困難
    • 日々感じていた彼女の違いと「他者らしさ」
  1.  日本の「家」へ戻る?
    • 10代の頃、大阪へ戻ることでの故郷への期待
    •  「アメリカの人」としての不思議と続いた疎外感
  1. 人生の帰路 - アメリカへ再び
    • 高校でのアメリカへのサマープログラムで得た、多様な国際的コミュニティへ参加することへの意思
    • アメリカで大学生として出会ったたくさんの日系、アジア系の仲間達と
    • 日本人としてのアイデンティティをもつ上で、「日本の代表」となるには日本の文化的な知識や経験が欠けていたこと自負
  1. 解決の糸口へ:二つのアイデンティティをアメリカと日本の「架け橋」に
    • 狂言、日本舞踊、古典文学をメインとする日本の伝統舞台で働いて
    • 初めは先輩や師匠と話すときに日本の適切な敬語や文化的マナーが欠けていた。しかし、徐々に日本の文化への理解が深まっていった。
    • 二ヵ国語使用と国際的な視点から雇用機会への解放について
    • 今日、日本人でありアメリカ人であること

プレゼンターの略歴

マオは大阪で生まれ、幼少期をアメリカと日本で過ごした。彼女は日本の業界への普及を目指していた、ブッキング・ドットコム・ジャパンで日本の最初の現地スタッフとして働いていました。2018年に彼女は、ウィーワーク日本へ参加し、福岡を拠点に最初のウィーワークの会社を開き30以上の若い専門家たちをたくさんのチームからなる西日本のコミュニティ指導者となるべく導きました。彼女は現在ミシガン州にあるアン・アーバーで夫とともに暮らし、サイボウズの子会社であるキントンで働き、日本拠点のテクノロジービジネスをアメリカで発展させようと努めています。

スティーヴ・サカナシ

故郷を離れた99年間、外国人としての精神

スティーヴ・サカナシの曽祖父であるケンゾウ・サカナシには被収容者であった記録はありません。しかしそれはケンゾウがFBIによって日本のスパイであるという疑いをかけられ、特別収容所に拘束されていたことによるものです。スティーヴはプレゼンテーションを通じて、第二次世界大戦中の政府による文書を解明し、日系アメリカ人の拘束について明らかにすることでケンゾウの覆われていた謎を解き明かします。父親であるケンゾウに対して非人道的な働きをした国に対して従軍することで身を捧げた感動的な話を含めた、サカナシ家族の99年の長い日本への帰路の物語を聞いてください。

プレゼンテーションの内容と要点

  1. 始めのご紹介と背景のご説明
  • 日系アメリカ人について知っていますか?
  • スティーヴの曽祖父、ケンゾウ・サカナシについて
  • 熊本からカリフォルニアへ
  1. サカナシ家の歴史を学術的に解明する
  • ケンゾウ、FBIの収容所への収監
  • ケンゾウと妻や子供たちの間における、手紙や電報を通じた解明
  • 米軍に従軍したケンゾウの息子たち
  1. 行動や反応を起こしましょう
    • 99年、日本への長い「帰路」
    • スティーヴの日本での「外国人」としてのアイデンティティと人生
    • より包括的で寛容な社会を望んで

プレゼンターの略歴

スティーヴ・サカナシは日系アメリカ人と日本人の母の元に生まれ、二重国籍の保有者としてロサンゼルスで生まれ育った4世です。スティーヴは6年間のシアトルでの仕事を経て、2014年に東京へ引っ越しました。米日カウンシルの活動的なメンバーの一人で、スティーヴは自身の経験を活かして、彼の二つの故郷であるアメリカと日本の繋がりをより親しいものへとするための熱心となっています。

スティーヴは現在マッチボックス・テクノロジー、国内で交差的な分野を展開する先駆者であるローソンコンビニエンスストア、HRテクノロジーでのマーケティングと海外進出戦略の責任者を任され、オンデマンドでもいくつかの仕事を任されています。スティーヴは、日本の国際的な大学に通う学生に向けたスタートアップを育成するための企業である世界クリエーターを設立しました。そして、公立高校の教師やTEDxのスピーカーや東京都政府のコンサルタントなど全ての人々に企業と日本社会における革新について教えています。

キャムリン・スギタ

あなたをみつけて、あなたの目標を見つけて

子供を育てるとき、夫も十分なお金も育てられない日本の若い女性が妊娠した時、彼女はどうしたらいいでしょう?4世のキャムリン・スギタは、この一つの問いかけから「そら」と名付けられ養子に出された子供についてお話しします。彼女は聞き手の方々に養子となった人で知っている人はいるのか、どんな人生がそこにあるのか、日本の養子縁組の状況はどうなのかを問いかけます。キャムリンによるお話の、「そら」とは誰であるのか、どんな人生が導かれたのか、「そら」の名前の深い意味によってお話の中で繋ぎあわされるものを聞いてください。

プレゼンテーションの内容と要点

  1. NHKドキュメンタリーで表される若い母親と困難
  • 若い女性が妊娠しても子供を育てる意味はない
  • 日本の養子縁組の現実
  1. その子は養子です
  • 第二次世界大戦時の収容を生き残った両親
  • 日本の文化活動に参加し、多くの日系アメリカ人に囲まれて
  • 東京での留学と初来日
  1. 再会
  • 二世ウィークの年会での告白
  • 知らない人からのインスタグラムに寄せられた一件の見新しいメッセージ

プレゼンターの略歴

キャムリン・スギタ-リーはカリフォルニアで日本舞踊を通じてルーツある日本に関わりを持って育ちました。キャムリンはワシントンD.C.にあるアメリカの大学で国際関係学と国際ビジネスを学び、大学の3年次を東京の早稲田大学で過ごしました。卒業後はカリフォルニア州ロサンゼルスの日系アメリカ人国立博物館で働いていました。現在は、サンフランシスコにある三菱UFJ金融グループの統合と多様性の部門で働いています。

アラン・ワタナベ

多様性と包括性のビジネスにおける利点

生きてきた中でずっと、外国人としてみなされていた。「新二世」であるアラン・ワタナベは、あなたが外国人であることは良いポイントであることと見方を変えない限り不利なことであることを説明します。  幼い頃から外国人として扱われてきた彼の経験によって、彼は新しい国で新しいビジネスを始めるという起業家精神に基づいた冒険へと導かれました。アランが、新しいビジネスへの挑戦を、未知の領域で始めるに当たってどのように「外国人としての精神」を利点へと転換させてきたのかお聞きください。

プレゼンテーションの内容と要点

  1. 「ブロンディ」- ロスで新二世として生まれ育って
    • 100%のアジア人としての感覚:日本の学校へいき、多様な環境で育って
    • 母による日本らしい弁当と日本のアイデンティティをつないで
    • 職業と人種の言葉において多様な家族
  1. 日本での新しい事業の旅
    • 学校を卒業し、人生の選択肢を求めて-カバンを用意して日本へたびたつ
    • 「外人」らしい見た目から、日本語が喋れていても、日本で外国人として扱われる
      • 強みと弱みが浮かび上がる
    • 彼のキャリアにおけるIT分野への挑戦
      • 「外国人としての精神」によって導かれた彼の新しい分野への挑戦
    • 日本業界へのアメリカの企業進出を手助けするコンサルティング会社を設立する
      • 最初はうまく行っていたが後々にお金が足りなくなってくる
      • 人生で一番苦しいときに学んだ、バランスと集中が鍵になるということ
  1. バングラディッシュで見つけた新しい道を
    • バングラディッシュで卓越したITエンジニアに出会い、2018年に新しい会社を設立
    • いまだに外国人としてみなされることをポジティヴな意味に捉えて

プレゼンターの略歴

アラン・ワタナベはカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、日本の東京で現在暮らしています。ありがたいことにいつも支えてくれる妻、二人の元気な子供たちに恵まれています。彼の両親は北海道と横浜出身でノースカロライナ州ラレイで生活し、息子のアメリカへの帰りをまっています。

アラン・ワタナベはJAPACのビジネスにおいてサイバーセキュリティ知能を活用して保護をするパイプラインという会社の創立者でCEOです。20年以上のIT産業での経験を生かして、現在、テレコム・キャリーズ、政府の内部、そしてアジアの大学のネットワークをサイバーアタックから守る仕事をしています。テクノロジーとビジネスの両方の機能を活かして、技術職、データーの組み立て、技術の販売職、国別のマネージャーとして役目を任され、熱心な複数領域の職人として自分を捉えています。

長嶺安奈

未来のリーダーたちへ:属性のないものとしての自身を受け入れる旅

日本人としても足りずアメリカ人としても足りず。新一世の娘である長嶺安奈が、アメリカと日本を行き来する旅で両方のアイデンティティに「収まる」ための苦悩をお話しします。あなたはどんなラベルを貼られたことがありますか?どのようになじもうとしました?自身と似たような多様なアイデンティティをもつコミュニティをどこで見つけ、自身の多面的なアイデンティティをどのように受け入れたのかお聞きください。

プレゼンテーションの内容と要点

  1. 移民としての家族の歴史
  • カリフォルニアに移民した新一世の両親
  • 父方と母方の両方の家族がアメリカへ移住し、家族となった
    • アメリカの影響を受けながら日系沖縄系家族として育つ
  • 兄弟間の違い:兄弟たちも日本とアメリカの多様な環境と多様な関係性の中で育った 
  1. 属さない冒険
    • 日本では日本人として不十分であり、アメリカではアジア人としての苦悩
    • どこででも適用するよう努めたが自分になじむラベルは見つからなかった
    • ターニングポイント:中央大学で多学的な学部に属して
      • コンフォートゾーンを超えて: ウガンダに2年住んで
      • 現在の仕事にたどり着く: OISTの多様なコミュニティで働いて
  1. 行動を起こそう: なぜ多様性、受容性、属性を気にする必要があるの?
    • 日本社会は変わりはじめている:海外からの観光客や移住者も増えている
    • 快適でない旅が彼女の心を豊かにした

プレゼンターの略歴

長嶺安奈は沖縄で生まれ育ち、アメリカと日本の両方の教育を受けました。彼女の両親は、アメリカへ移住し家族となり、彼女が生まれる前に沖縄へ戻ってきました。現在は沖縄科学技術大学院大学(OIST)で技術開発イノベーションセンター(TDIC)の事業開発セクションマネジャーとして働いています。彼女の仕事は地域のスタートアップ育成、起業家育成の支援、産学連携です。2014年に設立されたOIST初のスタートアップ(バイオテクノロジー)創出を支援したチームの一員でした。現在、彼女のチームはインキュベーション施設や国際的なスタートアップアクセラレータープログラムを運営しています。

中央大学総合政策学部を卒業し、ハワイ大学マノア校アジア研究プログラム(東西センター小渕奨学生)で修士号を取得しています。2017年にはTOMODACHI-Mitsuiリーダーシッププログラムに選ばれ、現在は US-Japan Network for the Future Prorgam (The Maureen and Mike Mansfield Foundation)の一員です。旅行とサーフィンが大好きで、甥っ子や姪っ子を可愛がるおばさんです。

テッド・カタギ

一世の5世代

高い影響力を誇るこのプレゼンテーションで、テッド・カタギは考えさせられる問いをあげ、どうすればグローバルな精神をもつ人になるのか洞察力に満ちたアドヴァイスを提示します日系アメリカ人としての彼の経験に基づいて、異文化に対する姿勢や理解するために役立つグローバルな心の、グローバルな直感の、グローバルな考え方の、グローバルな物語(Global Heart, Global Intuition, Global Thinking and Global Story=HITS)を展開いたします。

『5世の一世』、もしくは5世のアメリカ家族から日本への帰還としての彼があることが何を意味するのかを考えましょう。

プレゼンテーションの内容と要点

  1. 導入
  • 彼と彼の娘の物語:二世のアメリカ人が日本人ではないと気づいた時に、異文化を学ぶ上で成功の鍵となるものを理解するためには?
  1. 異文化理解のための「HITS」の枠組
  • Global Heart(グローバルな心): 誠実であり、好奇心を持ち、自信を持ち、柔軟であり、そしてコミュニティの設立者となる
  • Global Intuition(グローバルな直感): 他の人、集団、文化のレベルを理解するために探求する
  • Global Thinking(グローバルな考え方): 理解のために共通意識をもつ
  • Global Story(グローバルな物語): あなたの話をしてとあなたと他者を繋ぐための誠実なあなた自身を明らかにする
  • HITSの枠組みによってはほとんど英語が喋れなかった日本の中学生と、娘のアイルランドでのグローバルな大会の優勝物語に繋がりました
  1. グローバルな話をもっと間近に:あなた自身の、他にない物語を教えてください
  • あなたは他の国の人にどのように自己紹介しますか?
  • グローバルな精神になるために鍵となるもの、姿勢、心構え、そして勇気

プレゼンターの略歴

テッド・カタギはケンジャのCEOで創立者です。ケンジャはNTTやランドスタッドや国連のようなグローバルな巨大組織にソフトウェアプラットフォームを提供する会社です。

ケンジャの前には、彼はシニアのマネージャーのリーダーとしてフィデリティ投資、ボダフォンジャパンのチーフマーケティング社員、ボダフォングループで販売戦略のリーダ、そして日本テレコムの首脳副代表という仕事をこなし、上級のリーダーシップを 展開していました。

彼は東京では、依頼の多いスピーカーで、NUCBのビジネススクールで教授もしています。彼はハーバードビジネススクールでMBA学位をとり、カリフォルニア大学バークレー校の卒業生です。

ロイ・トミザワ

“天皇陛下に称えられ、米海軍に勤務:
20世紀初頭に激動のアメリカを生き抜いた日系一世の記録“

これは強制収容の話でも人種差別の話でもありません。20世紀初めから第二次大戦中までの時代の趨勢を描いた、福島出身の類まれな移民の物語です。ロイ・トミザワの祖父で日系三世の清は、米国に移住して数々の偉業を成し遂げました。戦前のサンフランシスコに日本YMCAの拠点を築き、日本語教師として米国に尽くし、戦後は日本人移民が米国に馴染めるよう支援しました。勇気を出して新たな世界へ飛び込み、静かに信念を貫く生き様を通じて、死後何十年も多くの人の人生に影響を与えた男性の物語に耳を傾けましょう。 

プレゼンテーションの概要とハイライト

  1. ニューヨークで三世として育つ:トミザワ家を訪ねて
  • 父もジャーナリストとして活躍

2. 20世紀初めの米国への移民の歴史的背景

  • 長子相続の制度と「世界の男」を目指した次男の野心
  • 一世だった祖父、冨沢清の背景:祖父も次男だった
  • グローバル化や技術・社会・保健動向が国際交流の活性化に影響

3. 清の米国への移住

  • 日本で洗礼を受けたのち、YMCAの指導者ジョン・R・モットと運命的な出会いを果たす
  • 1903年に米国にわたる
  • 妻フミとともにサンフランシスコのジャパンタウンで暮らす

4. 第二次大戦前後および戦中の清の米国での活動

  • 日本人排斥運動にもかかわらず、大恐慌時代の戦前にサンフランシスコに日本YMCAの拠点を作る
  • コロラド州ボルダーの海軍東洋語学校で日本語教師として米国に尽くす
  • 戦後は、他の日本人移民の米国への帰化を助ける

プレゼンターの略歴

ニューヨーク出身のロイ・トミザワは、30年以上にわたりアジアで働いてきました。メットライフ生命人材組織開発部のトップを務めるロイは、在日米国商工会議所の人事委員会、オリンピック・スポーツビジネス委員会の共同議長も務めています。フィラデルフィア郊外の地元紙『ガネット』の記者だった頃には、ペンシルバニア州東部の凶悪犯罪者用刑務所を取材して、ペンシルバニア州新聞社協会から調査報道部門で第2位に選出されました。著書に『1964:日本が最高に輝いた年 敗戦から奇跡の復興を遂げた日本を映し出す東京オリンピック』(文芸社、2020年)、Start Up and Stay Up in Thailand (Alpha Research, 1997)、Working with the Thais(共著、White Lotus Books, 1997)など。

ユミ・クラーク

“勇気ある旅、負けない心、生きる喜び”

日本からカリフォルニアに移住した一家は、ほどなくしてワイオミングの強制収容所へ送られました。収容中に祖母ががんのため死去し、収容所を出た後、父は陸軍諜報部に所属すると、家族は離散してしまいます。この家族の孫にあたるのがユミ・クラークです。 

三世/四世のユミが語るストーリーを通して、2つのアイデンティティを抱えて育った彼女の境遇や、「私は誰か」という問いが明らかになります。

プレゼンテーションの概要とハイライト

  1. 家族の背景: 日本と米国を行き来した3世代
  • カリフォルニアに移住した祖父母の物語
  • 祖父母と父はワイオミング州ハートマウンテンの強制収容所に送られる
  • 家族の離散― 祖母は収容所でがんのため死去、父は収監後に米陸軍諜報部に所属​​
  1. 私の人生の物語
  • 2つのアイデンティティ―ロサンゼルスで伝統的な日本人家庭に育つ
  • 「私は誰か」という疑問、どんな「レッテル」が相応しいか分からない
  • 日米の学校で学ぶなかで見つけた「私の声」
  1. メッセージ: 最初のひとりになるのを恐れない – 自分で成功をつかむ
  • 平坦な道のりではなく紆余曲折があった
  • 「最初のひとり」になった経験
  • 思い切って飛び込めば、見えてくる
  • 経験から学び未来の糧にする
  • どんなに困難な状況でも喜びを見つけられる

プレゼンターの略歴

ユミの両親は長崎と福岡の出身です。親戚がいる長崎県佐世保市で、彼女はたびたび夏休みを過ごしました。カリフォルニア大学バークレー校を卒業(修辞学・東アジア研究専攻)、九州大学でも福岡県研究フェローとして法律・政治学を学びました。現在は、電子手帳や会計ソフトに似た一般向け財務管理に特化したフィンテック企業、Quicken, Inc.の統合財務サービス担当バイスプレジデントを務めています。Capital One、Adobe、Intuit、eBay、PayPal、Visaおよび数々のスタートアップをはじめ、シリコンバレーと日本でテクノロジー・金融サービス分野の事業を立ち上げてきました。 現在は、日本の中小企業向けクラウド会計ソフトfreeeの社外取締役を務めています。 

その活躍から、2019年にはフォーチュン誌の「日本のセルフメードウーマン100人」に選ばれ、2018年にはサンフランシスコビジネスタイムズ誌から「ビジネス界で最も影響力ある女性」に選ばれました。 

ユウカ・メラ

“多様性と包摂性、すべての人へのおもてなし”

新二世のユウカ・メラが、帰国者として子どもの頃に苦労したエピソードを通じて、日本社会が多様性を受け入れる必要性を訴えます。角を立てず安定を重視する日本の姿勢が、時に多様性を促す上でマイナスに働くおそれもあると説明します。再び産業界のリーダーに返り咲くために、現代のグローバル化を踏まえて日本がどうすればもっと多様性を取り入れられるか、ユウカ・メラが解き明かします。

プレゼンテーションの概要とハイライト

  1. 自己紹介と背景
  • 家族の歴史 
  • 日米の小中学校に通う 
  • 日米の企業でキャリアを積む 
  1. 日本に馴染み受け入れてもらうのがむずかしい理由
  • 自身が体験した問題 
    • 子ども時代の学校での経験 – 日本では「異分子」と見られた
    • 企業文化の問題
  • 日本独自の習慣や伝統
    • 日本の結婚式
    • 日本の「ハンコ」制度 
  1. 日本における多様性と包摂性の推進 – なぜそれが重要なのか

  • ラグビー日本代表チーム 
  • すべての人への「おもてなし」
  • 日本人であることの意味を捉えなおす
  • 多様性と包摂性を促すメリット

プレゼンターの略歴 

ユウカ・メラは日系一世の両親のもと米国で生まれました。日米両国の公立校に通い、マサチューセッツ州の大学で学びました。マイクロ波フィルタ設計で修士号を取得後、米国と日本の企業に勤務。国際ビジネスと技術開発の分野で25年以上の経験があります。3M オプティカル・システムズ部門でサイトテクニカルディレクター兼グローバルテクニカルフィルムスペシャリストを務めたのち、Synapticsのグローバルデザインセンターでシニアディレクターに就任しました。Synapticsでは、大型タッチスクリーンの開発とともに、タッチIC市場に革命を起こした初のタッチ連携ディスプレイドライバICの発売に貢献しました。 

米国、韓国、台湾、中国での幅広い経験を生かして、現在はコンサルタントとして、海外の企業の日本およびアジアでのビジネス展開をサポートしています。

リン・レティン

“揺らぐアイデンティティ”

リン・レティンは、アラスカと沖縄で生まれ育ちました。母は沖縄出身、父は白人系米国人です。交錯するアイデンティティを抱えたリンは、自分探しの旅を続けています。どの人種とも言い切れない容姿のせいで、子どもの頃から人とちがう扱いを受け、セクシャリティやジェンダーが原因でなかなか支援も受けられませんでした。アイデンティティの狭間で成長したリンの体験談は、個性や自己の発見をめぐる重要なテーマを提起します。リンは、様々なエピソードを披露するとともに、「テレビタレントには、なぜトランスジェンダー男性よりトランスジェンダー女性が多いのか?」といった興味深い疑問を探ります。日米両国でのセクシャルマイノリティに関わる体験や、多様な背景とアイデンティティを持つすべての人が安全に暮らせる場を作るための取り組みに、耳を傾けましょう。

プレゼンテーションの概要とハイライト

  1. 「人とちがう」ということ
  • レッテルとともに育つ – アラスカでは「日本の子」、沖縄では「ハーフの子」
  • カミングアウトと周囲の反応
  1. コミュニティを見つけることが大切
  • アラスカでの大学時代、キャンパス内外で出会ったコミュニティが心の支えに
  • 目標を見直し、留学先の北海道でコミュニティを探す
  1. 日本でセクシャルマイノリティであること
  • 日本の地方都市で働くなかで、保守的な隠されたマイノリティ文化を体験
  • 出会いを求めて地方社会の外に目を向ける
  • 地方社会でのカミングアウト
  • 性別適合手術のための医療界のゲートキーパー機能 
  1. ちがうことは 強み 何ができるか?
  • 「カミングアウト」とは?  カミングアウトする人を、どう支えるか? LGBTとしての生活に日米でどんなちがいがあるか?

プレゼンターの略歴

米国人の父と沖縄出身の母を持つリンは、アラスカ州アンカレッジで生まれました。22歳までは日米両国の国籍を持っていました。現在はハワイのニウ・バレー中学校で日本語教師として働き、中学生に日本語を教えています。2011~2016年までJETプログラムに参加後、ハワイ大学マノア校で学び、日本語学修士号を取得(社会言語学専攻)。日本語だけでなく、日本と沖縄の文化についても生徒に教えています。趣味はスノーボード、弓道、ミニチュアシュナウザーの愛犬オットーと過ごすこと。

ジム・ミナモト
“不屈の精神――七転び八起き”

カリフォルニアの田舎町で生まれた日系二世の感動的なストーリーを、ジム・ミナモトが語ります。ジムの母は10代にして、普通の人が一生の間に経験する以上に多くの死と悲劇に見舞われました。広島で被爆者となっても、過去に縛られることはありませんでした。それどころか、質素で平凡な人生を果敢に生き抜いたのです。静かな不屈の精神に支えられた一生でした。たとえ7回転んでも8回立ち上がったのです。 

プレゼンテーションの概要とハイライト

  1. 1母国での悲劇家族の死
  • 1930年代、大恐慌の米国で育つ
  • 白人以外を対象とする人種別学校に通う
  • 近しい家族の早すぎる死
  • 家を追われて、外国の日本に移り住む
  1. 2: 海外での悲劇米国製の爆弾に殺されたアメリカ人
  • 戦時下の日本で「敵国人」として暮らす
  • 学徒勤労動員を命じられる
  • 1945年8月6日の恐怖を目撃
  • 再び死に見舞われる
  1. 3再び母国にて不屈の精神
  • 日本に別れを告げて
  • ニューヨークで一人暮らしを開始
  • 運が向いてきた
  • 「天国にいるみたい」
  • 折れない心を育てるには

プレゼンター略歴 

ジム・ミナモトはニューヨークで生まれ育った日系三世です。一世の祖父母は1900年代初めに米国に移住しました。日本の小学校しか出ていない祖父母は、勤勉さを武器に南カリフォルニアで小作農家を営みはじめました。しかし第二次大戦中にアーカンソー州ローワーの収容所に収監され、すべてを失いました。ジムは、ロースクールを卒業してニューヨークで数年働いた後、日本に居を移し、東京の法律事務所で企業法務弁護士を務めました。  

25年以上日本に在住、2012年より米日カウンシルメンバー。

リン・ミヤヒラ

“2つの世界:国内外での文化交流”

四世のリン・ミヤヒラは、様々なコミュニティで暮らすなかで自分の文化的アイデンティティを意識してきました。ハワイでは「沖縄出身の日系人」、米国本土では「アジア系」、日本に来れば「日系アメリカ人」です。けれど、同じ日系アメリカ人でも対照的な両親のライフスタイルを紹介することで、リンは、文化的アイデンティティが同じであっても全く違う育ち方をすることもあると教えてくれます。ハワイ、オレゴン、日本での体験を経て、リンがアイデンティティという魅力的な概念や、文化交流を推進するために自分のアイデンティティを知ることの大切さをどう捉えているか、学びましょう。

プレゼンテーションの概要とハイライト

  1. 同じ日系アメリカ人でも、全く異なる生活
  • リンの父(沖縄からの移民の子孫)はマウイ島のサトウキビ農園で育つ、母(強制収容経験者の子孫)は白人が多いイリノイ州シカゴで育つ
  • 米国本土とハワイの日系アメリカ人 – 文化も歴史も全く異なる
  • 多文化コミュニティが根づくハワイで育ち、ハワイ風にアレンジされた沖縄文化に触れる
  1. 米国本土へ白人コミュニティのオレゴンでの暮らし
  • 「日系」ではなく「アジア系」
  • 伝統を学びたいという思いを強くする
  1. 本物の伝統を学ぶため沖縄で働く
  • 職場での振る舞い方や文化のちがい – 日本人の働き方に馴染むのに苦労する
  • 自分ならではのアイデンティティや考え方を受け入れる

プレゼンターの略歴

リン・ミヤヒラはハワイで生まれ育った四世、祖先のルーツは沖縄と伊豆大島です。現在は、統合型コミュニケーションおよびマーケティング会社iQ 360のアカウントディレクターとして顧客関係の管理に携わり、広報、ビジネスコンサルティングサービス、統合型マーケティングキャンペーンを手がけています。2020年には、ハワイ沖縄連合会会長を務めました。この連合会は4万人のメンバーから成り、ハワイでの沖縄文化の推進、普及、保存を使命としています。 

ウィラメット大学で政治学学士号、ハワイ大学マノア校シャイドラービジネスカレッジでMBAを取得。米日カウンシルの2014年新生リーダープログラムのメンバー、2019年にハワイで開催されたU40サミットの共同議長も務めました。

実施大学

JASPは、下記の全国の大学で日系アメリカ人ストーリーテリング・プレゼンテーションを実施する機会に恵まれました。

国際教養大学

青山学院大学

亜細亜大学

中央大学

同志社大学

学習院女子大学

群馬大学

広島女学院高校

広島女学院大学

一橋大学

国際基督教大学

順天堂大学

関西外国語大学

関西国際大学

敬愛大学

慶應大学

神戸女学院大学

神戸大学

熊本大学

京都大学

明治大学

武蔵野大学

武蔵野美術大学

武蔵大学

日本大学文理学部

大阪府立大学

立教大学

立命館大学

成城大学

静岡大学

昭和女子大学

上智大学

テンプル大学ジャパンキャンパス

東北大学

東京学芸大学

東京工業大学

東京外国語大学

東洋学園大学

東洋大学

津田塾大学

筑波大学

琉球大学

東京大学

早稲田大学

JASPのプレゼンターは、以下を含む幅広い学科の学生とリアルタイムで交流しています。

  • 異文化コミュニケーション
  • ジェンダー・人権
  • 対立解決とクリエイティブ・ディスカッション
  • 人文科学・社会科学
  • 国際英語学
  • 多文化ソーシャルワーク
  • 海外移民と日系人
  • 日米外交関係
  • 日本移民史
  • アメリカ文化史
  • 現代アメリカ政治社会学
  • 米国のマイノリティと法律
  • 特別イベント(全学対象)

クラスの規模は、10人の少人数セミナーから100人以上が参加する大規模なものまで様々です。

参加者の声

JASPは、学生たちの多様性の理解やグローバルな思考を養おうと努めるだけでなく、日系アメリカ人の方々に、自分と先祖の歴史やアイデンティティを振り返る機会も提供しています。 

プログラム参加者の声を、いくつかここにご紹介します。

日系アメリカ人の個人的・集合的経験を学ぶことは、日本を拠点とする学生にとって、移住・移動の多様なあり方や普遍的人権について考察するために大変重要な役割を果たしています。米日カウンシルの日系アメリカ人ストーリーテリングプログラムは、歴史の中で取られた政策や規範が個人にどのような影響を与えているか、学生がより身近に考えることのできる良い機会だと思います。

山中 美潮
上智大学

外国語学部英語学科 助教

以前はアメリカの大学とのコラボレーション授業を行っていましたが、コロナ禍でコラボレーションを続けることが難しくなってしまいました。そのような中、JASPのプログラムは、地域性や世代など多様性に富んだ、様々な日系アメリカ人のスピーカーと日本の大学生がオンラインでつながる素晴らしい機会を与えてくれました。学生たちは日系アメリカ人スピーカーの家族や自身のライフストーリーを直接英語で聞くという貴重な機会を通じて、授業の中で学んだ歴史が現代の社会とどう結びついているのかを生き生きと感じることができます。また、様々な分野で国際的に活躍する日系アメリカ人スピーカーのキャリア形成のお話は、これから社会に出ていく大学生にとって非常によい刺激となりました。JASPプログラムに参加して、現代を生きる日系アメリカ人の声とその歴史にぜひ触れてみてください。

佃 陽子
成城大学
法学部 准教授

…特にコロナの間に様々な人とお会いする機会がない学生にとっては自宅にいながら貴重なお話を伺えるだけではなく、自分達から質問をし、ディスカッションができるという非常に貴重な学びの機会をいただきました。

小田 悠生
商学部 准教授
中央大学

日本で育った学生にとって、日系アメリカ人とは、近いようで遠い存在だと思います。例えば授業で第二次世界大戦中の強制収容の話を聴くことがあっても、実際に祖父母が収容された方のpersonal story を聴く機会は少ないと思われます。また、日本では、日系アメリカ人の古い歴史研究は多くあるのですが、現在まさに生きている日系アメリカ人がどういう方たちか、生に接する機会は意外と少ないのではないでしょうか。米日カウンシルの Japanese American Story Telling Program は、日本に住むプロフェッショナルな日系アメリカ人のネットワークを活かして、そのような日系アメリカ人をめぐる歴史・社会・現状をパーソナルなレベルで知ることができる絶好な機会だと思います。皆さんも是非このプログラムに参加して、日系アメリカ人のありのままの姿を学んで下さい。

武田 興欣
青山学院大学
国際政治経済学部国際政治学科 教授

国際英語学科GSEコースでは、戦争と平和の問題を意識せずにいられない広島という立地もあって、アイデンティティ、対立、差別などの話題をよく取り上げます。とはいえ、ストーリーの力を通じて、さらには不屈の精神といった大切な前向きな考え方に触れることで、学生たちは、授業で学んだ知識が、実際にそれを体験した人にとってどんな意味をもつかを考え、教室の中だけにとどまらない活発で有意義なディスカッションを行うことができました。


准教授ロバート・ドーマー
国際英語学科
広島女学院大学

「当事者だからお話しできるという内容だったので、推測のお話ではなく実体験を元にしたお話がとてもためになりました」

~受入れ校の教授

「学生だけでなく私自身にとっても、非常に勉強になるお話をうかがい有意義な交流を持つことができました」

~受入れ校の教授

「昨年、JASPプレゼンテーションの後、ハワイにルーツがあるという少なくとも2名の学生が、自身の家族の歴史を探索したいと言って来たのです。今まで祖父母などにそのような話をきいたことがなく、是非尋ねてみたいと話してくれました」

~受入れ校の教授

「日本の他の大学関係者に(JASPのことを)知らせたいと思います。本プログラムのスピーカーを招きたいという要望があればお知らせします」

~受入れ校の教授

日系アメリカ人のストーリーテリングプログラムは、自分の経験と知識をクラスに届けたユニークの方を提供しました。彼のプレゼンテーションでは、特殊な背景を持つことの難しさと利点について言及しただけでなく、学生が反省するための人生の教訓を説明しました。それは学生たちにとって素晴らしい機会でした。私はもっとスピーカーから話を聞きたいです。

学生プレゼンテーションコーディネーター

JASPの一番の目的は、日本の大学に通う学生に自信と国際的な視点を身につけてもらうことです。私の役割は、プレゼンターが教室に出向いてストーリーを語り、学生との交流の場を作る準備ができるようお手伝いすることです。ストーリーテリングは、太古の昔から受け継がれてきた技術です。 私たちは、クラスを分割して「ミニディスカッション」を行い、国際的な視点とは何か、どうすれば日本と世界の架け橋になれるかを学生たちに考えてもらっています。

パトリック・ニュウエル
JASP ストーリーテリングコーチ
大学院大学至善館
TEDx Tokyo共同創設者

JASPは、学士課程で「非伝統的な」道を追求するという難しい決断に直面したときに日本人の学生がどう考えるのかというモデルを提供しています。したがって、JASPは、スピーカーの仕事とキャリアについて多様な視点を提供し、日本人学生が自分の将来についてより広く、そしてより重要なことについて考えるように後押しすると信じています。 米日評議会は、さまざまな学問やキャリアの道を探求する手段となるかもしれません。

比嘉ブランドン・マーク
弁護士、法学者・ハワイ大学マノア校

米日カウンシルの大切な目的の一つは、日本とアメリカの関係性を人と人との関わりによってより強固にすることです。日系アメリカ人のもつ文化と国籍から、彼らが重要な役割を担うことが期待されます。安全保障や経済の戦略的な同盟に加え、人と人との絆によって日米関係をより強化しようと、米日カウンシルは設立されました。米日カウンシルの評議員会会長でありJASPスピーカーの1人として、日本の大学で教えていらっしゃる先生方にJAストーリーテリングプログラムの機会を持つことをおすすめいたします。

アーネスト・エム・比嘉
株式会社 ヒガ・インダストリーズ
代表取締役会長兼社長

若者は私たちの未来を担います。JASPは、国や言語、文化を越えて日系アメリカ人の体験を日本に伝えるための米日カウンシルの重要なプログラムです。ここで紹介するJASPのストーリーは、これから独り立ちして複雑化したグローバル社会へと足を踏み出す日本の大学生のために語られるものです。いずれも、困難や苦労を乗り越えた家族や個人の実体験に基づくストーリーです。私自身もプレゼンターとして、過去を振り返り、学び、人として成長するという、人生を大きく変えるような経験ができました。

スティーブ・ケンジ・スギノ
JASP スピーカー/プログラム共同リーダー
株式会社アムジェン 代表取締役社長

日本で生活している私は、他国と比べて日本の良いところ、そして改善が必要なところというものは意識的に考える機会がかなり少ないが、今回のプレゼンで、これからどのような取り組みをしていくべきかについて考えさせられた。そして、私の持つアイデンティティを大切にしようと思いました。

スティーブ・ジョブズ氏の「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?」という名言をモットーに日々過ごされていることを拝聴し、とても生き方を考えさせられました。私もこの名言を今日から胸に、日々自分らしく楽しく生きていきたいと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。

多くのことを学べました。自分のアイデンティティを考えるのは難しいように感じますが、様々な側面から自分を見つめなおすことができるのは良いことだと思います。素晴らしいプレゼンテーション、ありがとうございました。

日本人収容所の話は初めて聞きました。戦時中に国外にいた日系人がどのような扱いを受けていたかを考えたことも無かったので興味深かったです。人や国の歴史的背景を知ることは、国籍や性別が多様化した社会において円滑で、お互いを尊重したコミュニケーションをとるために大切だと実感しました。英語が苦手でも、日本語でフォローしてくださるのが有り難かったです。また、英語が多国籍社会では共通言語として強いという話もあり、英語をもっと喋れるようになりたいと学習意欲が湧きました。

日本人は同じ見た目、同じ言葉を話すというイメージをなくしていくことは大切だと感じました。色んなタイプの日本人がこれから増えてほしいし、日本人自身ももっと多様性のある日本の姿を思い浮かべられるようになったらいいと思いました。

日本とアメリカという2カ国に滞在されていたからこそ感じる苦悩や、そこから得られた考え方を知ることができました。貴重なお話をありがとうございました。

環境のせいで自分が辛いときでも自分を励まし続けることは大事だなと思いました。

アイデンティティーと聞くと人種や性別の観点から自分を見つめてしまいがちだけれど、日常生活や家族構成、経験など今の自分を形成する全ての事に対してこの言葉を使う事ができると分かり、今までよりも自分を定義することが簡単に感じた。またバックグラウンドについても多く語られていて理解しやすかった。

JASP ニュース

2023年2月7日

2020年秋に発足した米日カウンシルの「日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム(JASP)」は、初めて通年で運営された2022年、国内の大学を対象として60回のプレゼンテーションを成功させました。初年の8回に比べて、実施回数が大きく増えました。

期待された通り、JASPは対象地域を広げ、首都圏の20校に加えて、秋田、広島、神戸、熊本、京都、沖縄、大阪、東北、静岡、の大学生にプレゼンテーションを実施いたしました。

学生より次のような言葉をいただきました。

「日本で生活している私は、他国と比べて日本の良いところ、そして改善が必要なところというものは意識的に考える機会がかなり少ないが、今回のプレゼンで、これからどのような取り組みをしていくべきかについて考えさせられた。そして、私の持つアイデンティティを大切にしようと思いました。」

また他の学生からも次のような言葉が寄せられています。

「日本人は同じ見た目、同じ言葉を話すというイメージをなくしていくことは大切だと感じました。色んなタイプの日本人がこれから増えてほしいし、日本人自身ももっと多様性のある日本の姿を思い浮かべられるようになったらいいと思いました。」

プレゼンテーションのあらゆる場面で、学生が積極的に参加することがこのプログラムの特徴です。受入れ校の教授より次のような言葉をいただきました。

以前はアメリカの大学とのコラボレーション授業を行っていましたが、コロナ禍でコラボレーションを続けることが難しくなってしまいました。そのような中、JASPのプログラムは、地域性や世代など多様性に富んだ、様々な日系アメリカ人のスピーカーと日本の大学生がオンラインでつながる素晴らしい機会を与えてくれました。学生たちは日系アメリカ人スピーカーの家族や自身のライフストーリーを直接英語で聞くという貴重な機会を通じて、授業の中で学んだ歴史が現代の社会とどう結びついているのかを生き生きと感じることができます。また、様々な分野で国際的に活躍する日系アメリカ人スピーカーのキャリア形成のお話は、これから社会に出ていく大学生にとって非常によい刺激となりました。JASPプログラムに参加して、現代を生きる日系アメリカ人の声とその歴史にぜひ触れてみてください。

日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム(JASP) は、米日カウンシルのメンバーが日本の若者に前向きな教育的メッセージを伝えるためのプログラムです。移民に対する受容と共感、差別と偏見の克服、社会の多様性の力、そして日米間の架け橋となる役割といった前向きなメッセージが、プレゼンター自身の家族の歴史を通して語られます。

2022年10月27日

2022年10月27日は、東京で開催されたUSJCのアニュアル・カンファレンスの一部であるTOMODACHI day でした。日系アメリカ人としての経験を語ったエリコ・ストロナクさん、ハワイに初めて来た日本人移民である明治元年者の遺産を紹介したネイト・ギョウトクさん、そして最後にストーリーテリングについて力強く教えてくれたパトリック・ニューウェルさんなど、数名のJASPerが招かれ、それぞれのストーリーを発表してくれました。 

JASPインターンのサリナ・ノマさんが、プログラムと講演者の紹介をしてくれました。 TOMODACHIと渡辺奨学生プログラムから65名以上の若いリーダーが参加しました。  現在、日本で留学中のアメリカ人、留学経験があり国際的なキャリアに興味のある日本人、そして日本とアメリカの両方で働き、生活している若いプロフェッショナルで構成されていました。

サリナは、”エリコとネイトに直接会って話すことができ、またTOMODACHIの卒業生とつながることができた素晴らしい機会でした!”と付け加えました。JASPの皆様、お忙しい中、サポート、コミットメント、そして次世代への励ましに、改めて感謝いたします。

2022年8月12日

この度、日系アメリカ人市民同盟(JACL)の下、日系アメリカ人を理解する上で重要な言葉に関するプログラムを開催いたしました。本プログラムでは、JACLの教育およびコミュニケーションコーディネーターであるMatt Weisbly氏が “The Power of Words” というテーマでプレゼンテーションを行いました。

“Internmentや“Incarceration”などの日系アメリカ人の経験を説明するために選択する言葉は、アメリカと日本の次世代リーダーへ永続的な影響を与えることが期待されるため、このテーマは非常に重要です。

参加者には、JASPスピーカー、プログラムを提携するホスト教授、USJCスタッフとメンバーが含まれていました。彼らは日系アメリカ人の歴史とその婉曲表現の文脈で使用されている言葉について学びました。さらに、参加者からはテーマに関する質問と経験についてご意見をいただきました。

下記のボタンから動画を視聴できます。

2022年8月3日

2020年秋に発足した米日カウンシルの「日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム(JASP)」は、初めて通年で運営された2021年で、国内の大学を対象として50回のプレゼンテーションを成功させました。初年の8回に比べて、実施回数が飛躍的に増えました。

ある学生は、明確なテーマを持つJASPによるストーリーテリングを、心に残る前向きなメッセージを伝える方法として高く評価し、この様なコメントを寄せてくれました。

わたしは家系図に外国人の名前がなく、日本生まれ日本育ちの日本人であると思っていますが、高校時代は様々なバックグラウンドを持つ同級生が多くいたので、「みんな違って、ありのまま活躍できる」という[JASPスピーカー]さんのDiversityの定義がすっと納得できました。両親は血的には日本人で[JASPスピーカー]さん自身は沖縄生まれでも、環境によって2つのアイデンティティの間で思い悩むことがあるのだと勉強になりました。グローバル化が進み家族のかたちも多様化することが予想される社会で、この先非常に大切になるであろう考え方を教えていただけました。本日は貴重なお話をありがとうございました。”

JASPは2022年も引き続きプログラムを拡大し、東北や熊本など新たな地域でプレゼンテーションを実施する予定です。

日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム(JASP) は、米日カウンシルのメンバーが日本の若者に前向きな教育的メッセージを伝えるためのプログラムです。移民に対する受容と共感、差別と偏見の克服、社会における多様性の力、そして日米間の架け橋となる役割といった前向きなメッセージが、プレゼンター自身の家族の歴史を通して語られます。

2022年7月16日

The TOMODACHI MUFG International Exchange Program is a 5-part program that takes place over a course of roughly a month with one session a week on the weekends. During the program, the high school students have opportunities to learn about Japanese society and culture, and leadership through this year’s theme of resiliency. The program features opportunities to meet with Japanese people through interactions with local high school students.

On Saturday, July 16, 2022, JASPer Jim Minamoto gave a presentation about resilience as a part of their Resiliency and Leadership Session.

2022年6月24日

【寄稿】東京在住の日系アメリカ人によるボランティアグループは、コロナ禍にチャンスを見出し、非営利の教育プログラムを立ち上げた。その目的は日本の大学生に対し、昔からあるストーリーテリングという方法で、よりグローバルな視点を育むことである。

気候危機、世界金融危機、難民危機など、 近頃よく耳にする「危機」という言葉は、一般的に深刻かつ大規模な問題を指す。「危機」という言葉に、「危険」と「機会」を意味する字が用いられていることに気付く人もいるだろう。東京在住の日系アメリカ人が運営する非営利団体は、コロナ禍を「危険」と恐れるのではなく「機会」と捉えて行動を起こした。危機の中にチャンス(機会)を見い出し、次世代を担う日本の若手リーダーを対象とした非営利の教育プログラム「日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム(JASP)」を立ち上げたのだ。この取り組みについて紹介しよう。

記事はこちらからアクセスできます。

2022年2月28日

2020年秋に発足した米日カウンシルの「日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム(JASP)」は、初めて通年で運営された2021年、国内の大学を対象として50回のプレゼンテーションを成功させました。初年の8回に比べて、実施回数が大きく増えました。

期待された通り、JASPは対象地域を広げ、首都圏の10校に加えて、沖縄、広島、京都、神戸、大阪、静岡、群馬の大学生にプレゼンテーションを実施しました。

プレゼンターの多様化にも取り組み、従来の三世や四世だけでなく、ハワイや米国本土、さらには日本に住む新一世、新二世、他民族の家系を併せ持つ日系人によるストーリーテリングも行いました。 

プレゼンテーションのテーマは、不屈の精神、日米間の架け橋を築く、視野を広げコンフォートゾーンから飛び出す、起業家精神と夢の追求、文化的アイデンティティを見つける、女性のエンパワーメント、実の親との再会、カミングアウト、多様性・公平・包摂のビジネスにおける強みなどです。

ある学生は、明確なテーマを持つJASPのストーリーテリングを、心に残る前向きなメッセージを伝える方法として高く評価し、こんなコメントを寄せてくれました。「ストーリーのメッセージが伝わってきます……自分にだけ違った接し方をされると、どんな気持ちになるか、私にもわかります。[何かを]あきらめようと思ったとき、人生はいつも晴れの日ばかりではなく、雨の日もあることを思い出しました。とにかく前に進み、ベストを尽くします。セミナーを受けてやる気が出ました」

プレゼンテーションのあらゆる段階で、学生が積極的に参加することがこのプログラムの特徴です。受入れ校のある教授は、次のように語りました。「ストーリーの力を通じて、さらには不屈の精神といった前向きな考え方に触れることで、学生たちは、授業で学んだ知識が、実際にそれを体験した人にとってどんな意味をもつかを考え、教室の中だけにとどまらない活発で有意義なディスカッションを行うことができました」

JASPは2022年も引き続きプログラムを拡大し、東北や熊本など新たな地域でプレゼンテーションを実施する予定です。

日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム(JASP) は、米日カウンシルのメンバーが日本の若者に前向きな教育的メッセージを伝えるためのプログラムです。移民に対する受容と共感、差別と偏見の克服、社会の多様性の力、そして日米間の架け橋となる役割といった前向きなメッセージが、プレゼンター自身の家族の歴史を通して語られます。

2022年2月14日

米日カウンシルは、日本とアメリカの関係性をより深めるために、経済的、政治的、社会的なプロジェクトに色々な形で取り組んでいる組織です。近年、このカウンシルのメンバーにより、”Japanese American Storytelling Program”(JASP、「日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム」)がその一環として生まれ、主に歴史、多様性、共感、そして二国間の繋がりなど、多岐にわたることがらについて、日本とアメリカ両方の国民に向けて話をする機会を設けています。

先日、Global Studies in English(GSE)コースの学生がJASPのジェームズ・ミナモト氏の主催するインタラクティブセッションに招待される機会に恵まれました。オンラインで開催されたそのセッションで、ミナモト氏は「レジリエンス (立ち直る力)」と題し、興味深く、魅力的な講義をしてくださいました。講義の中で、ある日系人の少女が広島からアメリカに渡り、日本に強制的に連れ戻されるも最終的にはアメリカに戻ったという話を聞きました。彼女はその人生において想像もつかないような苦難に直面するのですが、レクチャーに参加した学生は質問に答えたり、自らの考えを説明したり、相手と同じ目線に立とうとしていました。

ミナモト氏に、このセッションを開催したきっかけと、本学でのセッションの感想を伺いました。

GSEの皆さんに私の母の挑戦と再起の物語をお伝えできて光栄でしたし、また皆さんの鋭い質問や洞察力にあふれたコメントを聞くことが出来たことも喜ばしく感じました。このJASPプロジェクトを通して、日本の未来を担う大学生に明るいメッセージを伝えられたらと考えています。このような素晴らしい機会を与えてくださりありがとうございました。

GSEの学生もまた、難しいテーマに懸命に取り組み、質問に対して共感や深い考察を示していました。参加した学生の1人に話を聞きました。

ミナモト氏の話し方に感銘を受けました。ミナモト氏のお母様の物語に込められたメッセージがすごく伝わってきました。いくつかの部分は私自身の人生にも関係している部分があるように思えて、とても感動しました。他の人に違った風に扱われた時の気持ちは私も分かります。もし、この先私がくじけそうになった時、人生は楽しい事ばかりじゃなく、時には雨が降るものだということを思い出します。だからこそいつも全力で、前を向いていかなければと思います。レクチャーを通して、私はより一層やる気を貰え、ミナモト氏のお母様がトラブルを乗り越えたように、私も強くありたいと思います。

GSEコースでは、日頃から実社会と結びついたトピックを授業で扱っています。ミナモト氏をはじめとする米日カウンシルのJASPプログラムの方々のご助力、ミナモト氏を通して語られた貴重な実体験によって、素晴らしい午後のひとときをもつことができました。ありがとうございました!

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2021年12月21日

2021年12月18日、米日カウンシルの「日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム(JASP)」がテレビのニュースで取り上げられました。JASPプレゼンターにしてプログラム共同リーダーであるスティーブ・スギノが群馬大学で行ったプレゼンテーションを、地元メディア が報じました。

日本人大学生と留学生を対象とした「あなたの人生の映画」と題したプレゼンテーションは、南カリフォルニアで日系三世として生まれたスティーブが、日本へ留学し、さらには東京銀行初の米国籍の「国際トレーニー」として働くという人生を変える決断を下すにいたった歩みを、公私含めて振り返ったものです。彼はニューヨークの金融業界でキャリアを積んだのち、ヘルスケア部門に軸足を移し、現在は大手バイオテクノロジー企業の日本法人を率いています。 

スティーブのプレゼンテーションは、多様性が広がる環境で日本企業のグローバル化が進むなか、学生が直面する新たな課題をめぐる洞察を示すものでした。このプレゼンテーションは、2020年秋のプログラム発足以来、JASPのプレゼンターが日本の大学生を対象に実施してきた50回以上のライブ・プレゼンテーションのひとつです。

日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム(JASP) は、米日カウンシルのメンバーが日本の若者に前向きな教育的メッセージを伝えるためのプログラムです。移民に対する受容と共感、差別と偏見の克服、社会の多様性の力、そして日米間の架け橋となる役割といった前向きなメッセージが、プレゼンター自身の家族の歴史を通して語られます。

プログラムに関するFAQs

日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラム(JASP)は、米日カウンシルが実施する非営利の教育プログラムです。

JASPは、ストーリーテリングという手法を通じて、日本の未来のリーダーとなる大学生に前向きなメッセージを伝えることを目指しています。重要な点として、JASPのプレゼンテーションは日系アメリカ人の歴史を扱った一般的な講演ではありません。プレゼンターとその先祖がたどった歩みを追った、きわめて個人的なストーリーであることが、このプログラムの最大の特徴です。だからこそ、プレゼンテーションが心に響く忘れられないものになり、強い印象を残すのです。

次のトピックについて、プレゼンターが自身の唯一無二のストーリーを語ります。

  • 21世紀に「日本人」であることの意味を問い直す
  • 受容、共感、ちがいの尊重
  • 日系人と移民
  • 不屈の精神(七転び八起き)
  • 日米間の架け橋を築く
  • 視野を広げコンフォートゾーンから飛び出す体験
  • 起業家精神と夢を追い求めること
  • 自分の文化的アイデンティティを見つける
  • 女性のエンパワーメント
  • ハワイの日系アメリカ人の歴史
  • ヘリテージが土台になり、翼をくれる
  • どこにも属さない私の旅、自分を受け入れること
  • あなたの人生の映画
  • カミングアウト
  • 戦時中の日系アメリカ人の経験
  • 多様性、公平、包摂のビジネスにおける強み

広い意味で日系アメリカ人と呼ばれる、米日カウンシルの多様なメンバーがプレゼンターを務めます。これには、日系三世、四世、他民族の家系を併せ持つ日系人、新一世(戦後米国に移民した人)、新二世(新一世の米国生まれの子ども)、米国から戻った日本人帰国者(帰国子女)が含まれます。次世代を担う若手リーダーやシニアエグゼクティブ、民間企業に勤める人や非営利団体に所属する人など様々です。

ほとんどのプレゼンターは日本在住ですが、ハワイ、カリフォルニア、それ以外の米国本土に居住する人もいます。多くが英語ネイティブですが、日本語も話せるバイリンガルもいます。

ほぼすべてのプレゼンテーションでは、スライドを含め英語が第一言語として使用されます。ただし、プレゼンターのなかには必要に応じて時々日本語で説明を行える人もいます。数人ですが、ほぼ日本語で口頭のプレゼンテーションを行える人もいます。受入れ校のクラスそれぞれに適したプレゼンターを紹介できるよう充分な配慮をしており、基本的には学生の英語力や一般的な学力が大きな問題になることはありません。プロの通訳を介しても、JASPのストーリーテリングの場合、必ずしも効果的でないことも分かっています。

JASPは、春期(4~7月)と秋期(9~1月)にプレゼンテーションを実施しています。担当教授のご要望に合わせスケジュール調整を行い、春期と秋期いずれか、もしくは両方にプレゼンターを派遣します。

すべてライブで実施されます。プログラムの特徴のひとつは、クイズ、投票・アンケート、ブレイクアウト・ルーム、昔ながらの質疑応答といった方法を使って、学生とプレゼンターがプレゼンテーションの際中にリアルタイムで直接やりとりできることです。ディスカッションと質疑応答を含めたプレゼンテーション全体の所要時間は、一般的には80~90分です。

そうです! 現在、ほぼすべてのプレゼンテーションは、Zoomなどのオンライン会議システムを使ってバーチャルで実施されています。そのため、日本全国の大学の学生にリアルタイムでプレゼンテーションを行えます。たとえばこれまでに、東京だけでなく沖縄、広島、山口、京都、神戸、大阪、静岡、秋田の学生にZoomでプレゼンテーションを実施しました。全都道府県の大学からのご依頼を心より歓迎いたします。

基本的には、学期が始まる2カ月前までには実施の可否をお伝えします。さらに、学期が始まる約1カ月前には、各クラスに紹介するプレゼンターの詳細を受入れ校の先生にお知らせするようにしています。たとえば、4月に春学期が始まる場合は39月に秋学期が始まる場合は8となります。

春学期(4~7月)中にご依頼があった場合、プレゼンターを派遣できるのは基本的には最短でその年の秋学期(9~1月)となる点に、ご注意ください。

Zoomを使ってバーチャルで実施する場合、録画の許可をお願いすることがあります。その場合、プライバシー保護のため学生の氏名と顔はすべて編集で削除します。同様に学生の皆さまも、プレゼンターの個人情報を尊重してくださるようお願いします。

いいえ。JASP のプレゼンテーションに料金はかかりません。ただし、大学キャンパスまである程度の距離を移動する場合、個々のプレゼンターの判断で交通費をいただくことがあります。

日本国内の大学でクラスを指導されている先生であれば、プレゼンターの受入れに関するお問い合わせを歓迎いたします。ご自身およびクラスの詳細を以下からお送りいただければ、折り返しご連絡させていただきます。

ご参加ください!

日本国内の大学の先生方

JASPプログラムへの参加、およびプレゼンターの受入れに関するご依頼を、心より歓迎いたします。こちらから、ご自身とクラスについて詳しくお知らせください。

詳細をお知らせいただいた後、こちらからご連絡いたします。ご依頼の状況やプレゼンターの都合にもよりますが、できる限り多くのご依頼に応えられるよう努めてまいります。

USJC メンバーの皆さま

日系アメリカ人として伝えたいストーリーがある方は、プレゼンター(JASPer)としてご参加ください。ご自身の経歴などを、こちら からお知らせください。

JASPersには、三世、四世、五世だけでなく、新一世(戦後米国に移民した人)や新二世(新一世の米国生まれの子ども)、他民族の家系を併せ持つ日系人も参加しています。要は、米日カウンシルのメンバーで、日系人として伝えたいストーリーがある人であればいいのです。

詳細をお知らせいただいた後、こちらからご連絡いたします。まだ米日カウンシルのメンバーではない場合、JASPerへの申請と平行して会員登録を手続きすることができます。日本とハワイに在住のメンバーだけでなく、米国本土在住のメンバーもこのプログラムに参加できます。現在、すべてのプレゼンテーションは、Zoomなどのオンラインツールを利用して、日本標準時(午前9時から午後6時など)に合わせてライブで実施しています。

米日カウンシルのプライバシーポリシーについて、詳しくはこちらをご覧ください。

JASPにご興味をお持ちいただき、ありがとうございます。

日系アメリカ人ストーリーテリング・プログラムの当ウェブページは、国際交流基金の助成を受けて作成しました。